退職を告げてからの残り半年間。
正直、先輩を置いて先に抜けることに罪悪感がなかったわけではありません。
でも、あの「有給問題」でのやり取りを経て、あたしの心には「やっぱりここに残ることは無理だったんだ」「先に辞める宣言をして本当によかった」という確信が生まれました。
今回は、退職までの半年間で感じた職場の人間関係のリアルと、若かった自分が学んだ「対人スキルの重み」について振り返ります。
「相性」が違えば、未来も違ったかもしれない
もし、先輩スタッフとの相性がめちゃくちゃ良くて、何でも話せる関係だったら、もしかしたらもっと長く働いていたかもしれません。少人数の職場だからこそ、人間関係の濃さはダイレクトに影響します。
でも現実は、「本当に気軽に話せる人はいない」状態でした。
正直に言うと、仕事としてのコミュニケーションは取るけれどスタッフ同士で仲良くコミュニケーションを取る空気感すら、あんまり好きじゃなかったんです。個人的な感情でだけどね、それほど拒否反応が出てたということで(笑)
昼休憩の憂鬱と、年下としての振る舞い
特に苦手だったのが、「昼休憩をみんなでご飯食べる」という習慣。
好きな環境ではないからこそ、一人になりたいけど、少人数の職場だとそうもいきません。
「和を乱すのは良くない」
「一番年下だから、きちんと気を遣わないといけない」
頭では分かっているから、失礼がないように礼儀は守るし、会話にも参加する。
でも、その「空気を読む作業」が毎日ボディブローのように効いてくるんです。
大切にされているのは分かっていました。可愛がってくれているのも伝わってきました。
本来は、嬉しいはずなのにそれにこたえれない23歳当時のあたしには、なんとも言えない息苦しさとしてのしかかっていました。
「自分をコントロールすること」を学んだ場所
ただ、今振り返って思うのは、この環境があったからこそ「自分の感情をコントロールする力」がついたということ。
好き嫌いだけで動かず、組織の一員としてどう振る舞うべきか。
理不尽なことがあっても、どうやって自分の中で消化して、プロとして現場に立つか。
23歳という若いうちに、身をもってこの「大人の対人スキル」を体験できたのは、本当に大きな財産でした。
もし緩い環境で働いていたら、開業してからもっと苦労していたかもしれません。
「嫌なことも含めて、全部が開業のための修行だった」と思えるのは、この職場での濃厚な3年間があったからです。
「先に抜ける」という選択の正しさ
結局、先輩を残して先に辞めることになりましたが、あの時勇気を出して「辞めます」と言った自分を褒めてあげたいです。
有給の一件や、日々の小さな我慢の積み重ねを考えると、もし情に流されて残っていたら、きっとメンタルが持たなかったはず。
「大切にされているからこそ、辞めづらい」
「人数が少ないから、迷惑かけたくない」
そんな思いで動けなくなっている鍼灸師さんもいるかもしれません。
でも、自分の人生の主導権を握れるのは自分だけ。
「ここは自分の居場所じゃない」と気づいたなら、それは逃げじゃなくて「次へのステップ」なんです。
いよいよ退職、そして開業へ
こうして、葛藤だらけだった2年半の横浜生活に幕を閉じようとしていました。
人間関係の難しさ、組織で働くことの窮屈さ、そして自分自身の未熟さ。
全部ひっくるめて、「もうお腹いっぱい!」という状態での卒業です(笑)。
やっと自由だー!という開放感と、次なる試練の始まりです。

